2007年06月30日

沖縄に行って来ましたが何か? その2

戦争はアカンね

ひめゆりの塔へ行きました。

塔は沖縄師範学校女子部・沖縄県立第一高等女学校生徒222人(教師18名)による「ひめゆり部隊」が看護活動を行っていた最後の場所に建てられてあります。
塔の横には「ひめゆり平和祈念資料館」があります。

長くなりそうなので感じた事と行った時の事を書きます。
ひめゆりに関する詳細はHPを是非見て下さい。本当に是非見て、そして知って下さい。

まず、行きに迷子になりました(笑)。
レンタカーのナビ通りに行くとサトウキビ畑に迷い込みました・・・。

そして気を取り直して・・・到着。
塔を過ぎ、「ひめゆり平和祈念資料館」に入ると受付で

「昨日、コンベンションセンターで踊ってましたよね?」

と声をかけられました。
友人を顔を見合わせてしまいました。
びっくりした。
受付けの方もうちの教室の関係者だったみたいです。

さ、そして中へ−

軽く予習していったのですが、ビックリする事が沢山ありました。
まず、沖縄師範学校女子部・沖縄県立第一高等女学校というのはかなりのお嬢さん学校だったようです。
15-19歳の全寮制の学校で、セーラー服に憧れて入学する子が多かったようです。
どの時代も変わりませんね。
それに戦争が始まるまでは英語が学べる学校としても憧れの学校だったようです。

それが突然に看護要因として戦争に参加しなければならなくなるなんて・・・。
私は中途半端な年齢なので、当時の生徒達の気持ちも考えるし、両親の気持ちも考えます。
結局は看護と言っても病院ではなく、最前線にあるガマなのですし。
いたたまれない。

資料館入ってすぐに資料館の設立についての文章があるのですがその中にこんな言葉がありました。

「私たちに何の疑念も抱かせず、むしろ積極的に戦場に向かわせたあの時代の教育の恐ろしさを忘れていません。」と。

まさしくその通りです。
そのような状況になった大きな原因の1つとして教育の恐ろしさを感じました。

心を痛めながらも子供を戦場に送った両親。
逃げ隠れする事なく戦場に行った生徒達。
もちろん、中には逃げたり隠れたりした人もいたかもしれませんけれど。

お国のためだと戦った人たちは教育により「洗脳」されていたのではないでしょうか?
そして人の奇妙な心理。
言ってみればマゾの部分・・・・。

犠牲者194人のうち、解散命令後の死者が128人であることから、軍の無責任さを強く感じました。
命令した人なんか自決してますからね。
本当に日本は日本の一部である沖縄を「使った」んだと思います。

そんなに昔の事ではないんですよ。
それがまた恐ろしい。

ひめゆりの生き残りの方「おばあ」が話をしてくれます。

淡々と。

いつか読んだ田口ランディーのブログに書いてあったのを思い出しました。

淡々と話をするのは、感情を抑えて話をしないとどうしようもないから。
でもそれでも話をしないと伝えられないから。
伝えることによって平和の重要性を知らせなければいけないから。

そうなんでしょうね。
感情入れて話してたら話にならないですもんね。

「いつも一緒だからと友人と手をつないでガマを出たら爆発した。
隣の友達はいなかった・・・。彼女は今でも私のなかでは16歳の友達です。」
そんな話を「おばあ」たちはするのです。


ひめゆりの塔に行くと言ったら「怖い」「なんで行くの?」と多くの人に言われました。

なぜ怖い???
私だって幽霊とかお化けとか怖いです。

でもね、日本の捨石にされた沖縄で戦った人達がいて、
今の私なんかより若くて口を開けば恋愛話をしてたような10代後半の女の子が戦場にいたんですよ。
この私たちの住んでいる日本で。
アメリカは本土を攻める前に沖縄を占領して、そして拠点にしようとしてた。
それを知っても「怖い」なんて言える?

資料館に一人づつの名前と写真、特徴などが展示してあります。
「ひめゆり部隊」という1つの括りではなく、戦地にいた一人一人の少女なのですね。

一緒に行った友人は
「なんとなく来たけど、来てよかった。戦争の話は辛いけれど、いつも他人事のように思っていた。
でも同じ女の子で、大事にしていた箱の中に入っている洋裁グッツを見ると他人事ではない。」
と言いました。

本当にそう思います。
私は18歳になってすぐに震災にあいました。
死体が運ばれるのも目の当たりにしました。
そんな中、祖母が「いつくるのか分からないのは空襲のようだ」と言いました。
私は家族から離れる事ができませんでした。

でもそれが人為的な事なのと自然現象なのでは気持ちの持って行きようが違いますよね。

私はあの時だって悲惨だって思ったけれど、戦争はそれ以上。
本当に、本当に悲惨な事です。


そして、一番心に残った事がありました・・・・。

資料館の中には興味なさげな若い女の子がいました。
サングラスをして、安っぽいちょっとヤンキー風の服を着ていました。
早足で資料館の中を歩いていました。
資料館を出るとベンチにその子が座っていました。

号泣していました。

横に友達らしき女の子がいて彼女の頭をなでていました。
二人は会話する事なく
彼女はずっとずっと泣いていました。

私もそれを見て泣いてしまいました。
ゆっくり見れなくて早足になってたんですね。

平和の為に出来ることは、知って、感じる事かなぁーと思いました。
私はまだまだ何も知りません。
このような悲惨な事は「ひめゆり」だけの事ではないのですよね・・・。
posted by ケリイ at 12:48| Comment(7) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「日本軍が沖縄を見捨てた」
の意味が今やっとわかった・・・。
気がする。
まだまだ知らない事がいっぱいある。

Posted by ちゃっぴー イトー at 2007年06月30日 22:20
恥ずかしい話だけど日本のことなのに
知らないことがいっぱい。
こういう機会に勉強することは大切やね。

事件は解決された?
落ち着いたら連絡ちょーだい。
Posted by ファスナー at 2007年07月02日 10:40
>ちゃっぴー イトーちゃん
うん、本当に私は勉強してなかったとしみじみ思った。
何も知らないわ私。
いい事も悪い事も。

>ファスナー
事件の解決は時のみが可能である。
つまり解決なんてしないんだよ。

私たちって一緒に遊んだ記憶ばっかりで
一緒に勉強してた記憶ないな・・・。
カワイイ娘二人と一緒に勉強してちょ。
Posted by ケリイ at 2007年07月02日 14:42
自分の意志とは全く違う方向に
人生が向いてしまうよね。
そして大きな波に飲み込まれていく。
でも、思うのは一人一人の人生。
その「一人一人」の周りにいる人たちの事。
どんなに悲しい思いでいたのか、
どんなに苦しい思いだったのか。
戦争を体験してないけど、
考えただけで胸が痛い。

号泣してた女の子。
まっすぐまっすぐ強く強く生きてほしいなあ。
Posted by おすぎ at 2007年07月02日 22:44
>おすぎちゃん
そうそう、どんな団体でも一人一人なのね。

で、きっと私は修学旅行とかで行ってたら感じられなかったものを30歳になってやっと感じれるようになったんやと思うねん。
感じれない人は一生感じれないし。
だからこそ、号泣してた若い女の子を見て一層涙が出たのよ。
感じれる子が増えればいいなとも思うねぇ。
Posted by ケリイ at 2007年07月03日 15:43
戦争に限らず「その他大勢」「対岸の火事」
が身の周りにいっぱいあって
でも
ふっと横を見ると身近なところでの
多くの事を見過ごしてる。
せえいっぱい!
まっとうに!生きて・・・・。
平和を祈りつつ。
Posted by ちゃっぴー イトー at 2007年07月04日 00:06
>ちゃっぴー イトー ちゃん
私たちは平和ボケしてるかもね。
記念碑は思い出す為に建てて、そして生かすために建ててるんだっていうのすら忘れてるもん。
Posted by ケリイ at 2007年07月04日 11:19
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